前回の名言1はズラタン・イブラヒモビッチでしたが、第2弾の今回はイタリアのロベルト・バッジョ。
「悲運の天才」「ファンタジスタ」と今なお全世界のファンから賞賛されるレジェンドですね。
彼の輝かしくも悲しみに彩られたキャリアは、そのまま映画や小説にできるほどドラマチックです。
彼は1967年生まれ。1970年のW杯決勝でイタリアはブラジルに敗れて準優勝に終わります。
バッジョは子供の頃からそのリベンジを誓い、(W杯決勝でブラジルに勝つ!)と夢見ながら選手として成長します。
そして1994年のW杯。
バッジョ擁するイタリアは、決勝戦まで勝ち進みます。
決勝の相手はなんとリベンジを誓ったブラジルでした。
延長戦でも決着はつかず、試合はPK戦へ。
5人目のキッカーだったバッジョのシュートは枠外に外れ、その瞬間にブラジルの優勝が決定。またイタリアは準優勝に終わったのでした。
バッジョはそれから25年たっても「今でもよく眠れないんだ。ブラジル戦でのPK失敗のせいで」と告白しています。
子供の頃からW杯決勝戦でブラジルを倒すことを夢見てきたが、夢と現実の結末は違った、とも述べています。
そんな彼のPKに関する名言がこちら。
「PKを外すことができるのはPK蹴る勇気を持った者だけだ」
「決めたPKは誰もおぼえていないが、外したPKは誰もがおぼえている」
この2つの名言はすっごくよくわかると思います。
私もある大会のPK戦でこんな経験がありました。
キッカー7人目まで両軍全員が成功。
異様な雰囲気で誰も8人目として蹴りたがらない。
周囲は若手のA君を推しましたが嫌がっています。
私は彼に代わってキッカーを申し出ようかと思いましたが、勇気が出ません。
外すイメージしかなかったのです。
結局、嫌々蹴ったA君はポストに当てて敗北しました。
みんなで彼をなぐさめましたが、彼はずっと寝つきが悪かったでしょうし、私も何年たっても忘れられません。
勇気のなさが恨めしいのです。
飲食の席で昔の試合の話になると「誰々がPK失敗して負けたよな〜」といつまでも話題になります。
本当にPK失敗は皆よくおぼえてます。
逆に誰がPKを決めたかは全く印象にない。
ロベルト・バッジョの名言どおり!
今では信じられないことですが、ロベルト・バッジョは、監督に嫌われて出場が限られることも多かった選手です。
当時のフットボールのトレンドに合わないタイプだったことや監督からスパイ(告げ口行為の依頼)を頼まれてきっぱり断ったことなども理由でした。
名将と言われる監督たちに悪く言われてしまったり、怪我にも苦しみ、国内から批判され、実力や実績にふさわしい扱いを受けられなかったところが、彼の悲運の物語を際立たせています。
彼のドキュメンタリー番組を見た時に、涙が出そうなテロップがありました。
国外からの賞賛とイタリア国内からの逆風を一言で表現したものです。
「全世界で母国だけが彼がナンバーワンであると認めなかった」
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