外国の村々を訪問してイベントをやっていた時のことです。

日本人の先輩と現地人のスタッフでチームを組んでいくつも村をまわって活動していたのですが、最初のスピーチをしたり、村人に直接指示を出している住民たちの代表が村長じゃないことに気づきました。

「あの人はどういう役職なんですか?」

「あれはチェアマンだよ」

先輩に尋ねるとそう教えてくれました。

英語圏では村長とは別にチェアマンという役職が一般的らしいです。

私達が回った村々では、村長は高齢の男性か女性だったりしますが、チェアマンは有能そうな中年の男性で、最高位の村長とは別の実務的代表といったところでしょうか。

みんながラフな格好をしている中で、チェアマンはスーツをビシッと着こなして弁が立ち、彼の指示で住民たちは動いていました。日本の村や町とは違った雰囲気です。


日本では一般的にチェアマンという役職は耳慣れないですが、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏は有名ですね。

チェアマンは日本語で言えば会長だったり、理事長だったりするのですが、このチェアマンという呼称を定着させたのも川淵氏みたいです。


今はバスケットの人気がすごい。日本代表やBリーグや八村選手が盛んにテレビで取り上げられています。


以前、日本のバスケット界は組織が分裂して大変なことになっていたことをどれだけの人がおぼえているでしょうか?

あの時のバスケは2つのリーグの組織対立などゴタゴタ続きで、JOCからの資格停止処分や国際バスケットボール連盟の介入、制裁までネガティブな報道ばかりで、日本のバスケはサッカーや野球のようにメジャーなプロ化は不可能と思われていたのです。

20年近くこの問題は続いたようで、バスケ関係者はもうどうにもできない状態で内部から改革に立ち上がる人はいませんでした。


そこに問題解決のため外部から招かれたのが川淵氏でした。


当時、少年時代にサッカーで県選抜だった仕事仲間がこう話したのをおぼえています。


「Jリーグを発展させたあの川淵チェアマンが今度はバスケ界を立て直す。日本のバスケはこれから発展するよ」


でも私はあの偉大な川渕チェアマンが尽力しても、当時の悲惨なバスケ界の状況を打開できるのか?と懐疑的でした。


川淵氏はサッカー人生を送られてきた方です。バスケ界の人ではない。

外部からの異端者として快く思われずに孤立して何もできなくなってしまわないか?

そんな風に思えましたが、偉大なるチェアマンは、Jリーグに続いてバスケ界を見事に立て直したのです。仕事仲間の言った通りでした。

分裂していた2つのリーグの統一や超大型スポンサーをとりつけたり、Jリーグの成功にちなんださまざまな改革を盛り込んで、Bリーグ設立の道筋をつけてから勇退しました。


そして今のバスケ界の盛り上がりがあります。

Bリーグは発足してすぐに日本のフットサルのプロリーグであるFリーグの観客動員数を抜いてしまいました。

最近、バスケはしょっちゅうテレビに取り上げられますが、フットサルがテレビに取り上げられることは皆無です・・・


こうして偉大なる川淵チェアマンは、Jリーグの最大の功労者であると同時にバスケ界の救世主とも言われています。


この川淵チェアマンのように、退廃した業界を立て直すリーダーは、その業界とのしがらみがない外部からの素人だったりします。

内部で嫌われることを怖れずに改革を断行できる。

外部から見た方がその組織や団体に何が必要かがわかったりするんでしょうね。

偉大なるチェアマンの功績を知れば知るほどに、表舞台で輝く選手だけでなく、裏で支えてくれる人の存在が大切だと実感できます。

カテゴリー: ブログ

sandafutsal

フットサル三田は常時参加募集中!

0件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です